松田聖子さんは1962年3月10日福岡県久留米市出身です。
サンミュージック、ファンティック、グリーンパークミュージックを経て現在はファンティックを個人事務所とし、制作全般をfelicia club(フェリシアクラブ)所属としています。
1978年、「CBSソニー」主催の『ミス・セブンティーンコンテスト』九州地区大会に桜田淳子の「気まぐれヴィーナス」を録音したテープを送り合格し九州地区大会で優勝。全国大会は両親に反対され辞退しましたが、九州地区で優勝した聖子の歌声を聴いて「この子は絶対に売れる」と確信したCBSソニーにスカウトされます。
1979年渡辺プロダクション傘下の東京音楽学院九州校に在籍していた高校3年の時、渡辺プロの九州支社長に注目されましたが、ガニ股はテレビ映りがよくないという理由で却下。
その後、サンミュージックの専務に注目され契約。歌手デビューのため上京し、堀越高等学校に転校。ニッポン放送の平凡出版提供「パンチ・パンチ・パンチ」に出演し始め、かわいい声で拙者を魅了しました。いやはや懐かしい。
そして日本テレビ系ドラマ『おだいじに』に「松田聖子」役で出演し、太川陽介さんとキスシーンで話題に。この時の役名が親しみやすいとして芸名になります。
1980年に「裸足の季節」でレコードデビュー。NHKで「サンデーズ」としても活躍しました。
「エクボ」のCMとタイアップでここからヒット曲を連発。細い体にムチ打って活躍し、ぶりっ子、涙が出ていないと言われたり、変声に苦労したりしつつ「聖子ちゃんカット」ブームを起こしました。「ぶりっ子」は春やすこ・けいこや山田邦子がからかった言葉であり、当時の流行語にまでなりました。
1980年の「風は秋色」から1988年の「旅立ちはフリージア」まで24曲連続でオリコンシングルチャート(週間)1位を獲得。CBSソニーのドル箱で、足を向けられない存在でした。
1985年に俳優の神田正輝と結婚し神田沙也加を出産。その後離婚と結婚をしながらも現役バリバリで、昨年末の紅白歌合戦では「赤いスイートピー」でトリを務めました。
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松田聖子
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